『ももへの手紙』沖浦啓之監督インタビュー
第1回 きっかけは「不思議惑星キン・ザ・ザ」
風光明媚な瀬戸内海の島を舞台に、父親を亡くした11歳の少女・ももが体験するひと夏の日々を描いたファンタジー作品『ももへの手紙』(4月21日より全国ロードショー/配給:角川映画)。原案・脚本・監督を務めたのは、リアル系アニメーターの第一人者としても知られる沖浦啓之。約7年の歳月をかけて丹念に作り上げられた本作は、彼の仕事をチェックしてきたファンなら「あの沖浦啓之がこんな映画を!?」と間違いなく驚愕するであろう一作だ。ひたすら硬質でストイックな語り口を貫いた前作『人狼 JIN-ROH』とは打って変わって、『ももへの手紙』は、のんびりとした、ユーモア溢れるハートウォーミングなエンタテインメント作品に仕上がっている。もちろん、とことんリアルな日常描写を追求する沖浦監督らしいこだわりは全編に渡って貫かれているが、一方で、そこに素っ頓狂なビジュアルの妖怪たちがするりと同居しており、今までにない感触の劇場アニメと言える。ファミリー層だけでなく、アニメスタイル読者にとっても必見の作品だ。待望の公開を前に、沖浦監督にたっぷりとお話をうかがってきた。
●PROFILE
沖浦啓之 Hiroyuki Okiura
1966年、大阪府生まれ。1982年、作画スタジオ有限会社アニメアールに入社。1984年、TVシリーズ『星銃士ビスマルク』で初作画監督。映画『AKIRA』『ピーターパンの冒険』『老人Z』などの原画を勤め、1991年に上京。1992年、映画『走れメロス』でキャラクターデザイン・作画監督・絵コンテを担当。1995年には映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』でキャラクターデザイン・作画監督を経て、初監督作となる映画『人狼 JIN-ROH』を2000年に発表。ポルト国際映画祭1999最優秀アニメーション賞・審査員特別大賞受賞をはじめ、各国映画祭でも受賞。翌年には『COWBOY BEBOP 天国の扉』のオープニング絵コンテ・演出・原画で参加。2004年に映画『イノセンス』でキャラクターデザイン・作画監督・原画を担当し、その後、今作『ももへの手紙』に着手。監督作品としては2作目となる。
取材日/2012年3月7日
取材場所/東京・PRODUCTION I.G
取材/小黒祐一郎、岡本敦史
構成/岡本敦史
撮影/永塚眞也
── 元々、企画としてはどんなかたちで始まったんでしょう?
沖浦 『イノセンス』のあとに他社の企画を手伝っていたんですけど、それが立ち消えになってしまって。何か仕事を作らなければと思い、石川(光久)さんと喋っていた時に「こういうのはどうでしょう?」と提案したのが、きっかけと言えばきっかけですね。
── その時は、まず内容から提案されたんですか。
沖浦 内容といっても「女の子と妖怪の話」ぐらいのことしか言ってないんですが。そしたら、なぜか分からないけど石川さんの食いつきがよかったので、そこから具体的に内容を考え始めたんです。
── 女の子と妖怪の話をやりたいと思われたのは、どうしてなんですか。
沖浦 旧ソ連の映画で「不思議惑星キン・ザ・ザ」という作品がありまして、それにとても感銘を受けたんです。あれは、地球人のおじさんと異星人のおじさんの話だったんですけど(笑)。それを女の子とおじさんたちという組み合わせで、舞台を変えてやれないかなと思って。だから、おじさんっぽいイメージの妖怪たちにしたいなと。
── 特に「今までの仕事とは違うラインのものを作りたい」という意欲でスタートしたわけではない?
沖浦 そういうわけではないです。確かに、今までやってきた仕事とは毛色が多少違うように見えなくもないですけど……自分としては『走れメロス』とか、ああいう系統の作品のほうが向いている気がしていたので、特に自分の中で「違うもの」という意識はなかったです。
── 作品全体のムードは、非常にのどかで、笑いもたくさんあって、あっけらかんとしたユーモアに溢れていますよね。前作『人狼』とはだいぶイメージが違っていたので驚いたんですが、前々からこういうタッチの作品をやりたいと思われていたんですか。
沖浦 そうですね。アニメーターになってからはリアル路線に行ったんですけど、子供の頃は、実はギャグマンガも多く描いてたんですよ。
── あ、そうなんですか。
沖浦 個人の志向としては、特にこだわりなく、なんでも好きなんです。アニメーターとして仕事をする上では、リアルな系統の作品のほうが、画を描きながら積み上げていく面白さがある。そういう部分は自分の性に合っていたんだと思います。でも、作品の好みとしては、むしろ明るいもののほうが好きではある。仕事と関係なく趣味で読むものも、子供向けの本とか絵本が多いんです。
── ちょっと意外ですね。
沖浦 そういう自分が元々好きなものを、仕事でも出せるきっかけを探していたけど、たまたま今までなかったという感じなんですよね。
── 舞台を瀬戸内の島にしたのも、最初から決めていたんですか。
沖浦 それもいつ出てきたアイデアなのか覚えてないんですけど、最初の企画書を書いた時には、もう島を舞台にしていたと思います。まず基本になる物語として、ももとお母さんの話があって、妖怪を描きたいというテーマがあって、もうひとつのテーマとして、自分のルーツである瀬戸内海を描きたいというのがあった。そのみっつが合わさったかたちなんです。
── 沖浦さんは大阪出身ですよね。瀬戸内海がルーツなんですか。
沖浦 ええ。曾おじいさんの代までは、広島県の鞆の浦というところに住んでいました。今でも、家のお墓はそっちにあるんです。沖浦という地名も瀬戸内海にはいくつかあったりするんですよ。
── なるほど。母と娘の話というのも、今回の重要なポイントだったんですか。
沖浦 そうですね。プライベートでそういうことをいろいろ考えるようになりまして、それを何かかたちにできないかな、という思いはありました。
── 『イノセンス』の少しあとに企画が動き出したということは、2004年ぐらい?
沖浦 そうです。最初にシナリオ用のロケハンをしたのが、2004年でした。
── じゃあ、3年かかった『人狼』よりも時間はかかっているわけですね。
沖浦 もちろん、倍以上かかってます。
一同 (笑)。
── 企画にOKを出した石川さんのほうから「こういうふうに作ったら?」とか「こういう方向で行こうよ」とか、何かオーダーはあったんですか。
沖浦 いや、何か言われる前にこちらから案を出すという感じだったので、そんなに制限は受けなかったと思います。随分時間が経っているから、よく覚えていないんですけど……具体的に作品の方向性を決めていく途中の段階では、いろいろあった気もしますけどね。参考として「キン・ザ・ザ」も石川さんに観てもらったんですけど、首をひねるばかりで、逆に凄い恐怖心を抱かせてしまいました。
一同 (笑)。
沖浦 僕が伝えたかったのは、この映画では非常に興味深いことをやっていて、それを『もも』ではエンタテインメントの中に採り入れて応用したいんだ、ということだったんですけどね。「キン・ザ・ザ」まんまだと、さすがに一般のお客さんに見せるには少しシュールすぎるから。石川さんにしてみたら、おそらく危険な香りしかしなかったんだと思います(笑)。
── シナリオは本編と同じ内容のものが、文章としていちど上がってるんですか。
沖浦 ええ、上がっています。
── コンテを描きながら内容を考えたりはしていない?
沖浦 それは全然してないですね。本編とコンテとシナリオでは、ほとんど違いはないと思います。多少、台詞のニュアンスが違うぐらいですね。
── 脚本はスムーズにまとまったんですか。
沖浦 いや、それは結構、紆余曲折を経たというか……最終的には自分で書き上げたんですけど、最初は別の方にお願いしていたんです。
── クレジットにも、それらしき方の名前が見受けられますね。
沖浦 ええ。自分自身も、監督として脚本家さんとどう付き合って、どう作業を進めていけばいいのか知らなかったものですから。ある程度はお任せして進めていたんです。でも、その段階で時間もそれなりに食ってしまって、だんだんリミットが迫ってきた。どうにかしないと企画自体が危うくなりそうな雲行きだったので、最後は自分で書き上げてしまったんです。
── というと、企画スタートから脚本の決定稿が上がるまで、1年近くかかったんですか。
沖浦 ……もっとかかってたんじゃないかな? 2005年に引っ越した時、確かイメージボードを描いている最中だった。そのあとでシナリオのまとめに入ったから、年末いっぱいぐらいまでかかってるんじゃないかな。いや、さらにその後も何度か直しているので、2006年になってもやってましたね、きっと。
── イメージボードはかなり描かれたんですか。
沖浦 まあ、30枚ぐらいですね。
── コンテはいつごろに上がったんですか。
沖浦 覚えてないなあ……。
松下慶子プロデューサー ラフのコンテは、凄く早かったんですよね。
── 先にラフを書いて、それから清書したんですか。
沖浦 ある段階までは、正式なコンテとしてアタマから順番に描いていって、途中でいったん最後まで上げないとマズいという状況になり、ラフなかたちで終わりまで描いたんです。それから本編のほうのチェック作業を優先して進めて、そうしているうちにコンテのスケジュールがやばくなってきて、またコンテの清書にかかるという感じだった。
── なるほど。途中からは本編の制作とコンテが同時進行だったわけですね。
沖浦 そうです。
●第2回につづく
●公式サイト
『ももへの手紙』公式サイト
http://momo-letter.jp/
(12.04.06)