『ももへの手紙』沖浦啓之監督インタビュー
第2回 日常とギャグ、ファンタジーのバランス
── ご自身の理想とされるアニメーションを、今回の作品で実現しようといった意図は、最初からあったんでしょうか。
沖浦 う~ん、それもちょっと覚えてないんですよね(苦笑)。やっぱりオリジナル作品の場合、いろいろとハードルが高いので、まずは制作にこぎつけられるかどうかというのが最初の山場なんです。企画にゴーサインが出て、実際に現場を動かすところへ持っていくまでは、予算の規模とかも決まっていない状態で進めるわけですから。やり始めてから「こういうこともできるかな?」という欲が出てきたのかな、と思うんですけどね。
── そもそも『人狼』をお作りになった時、「自分はこれから監督でいくぞ」と思われたんですか。
沖浦 いや、そうは思っていなかったでしょうね。
── 『人狼』の時は、押井(守)さんの脚本が元々あって、結構なアレンジをされたとはいえ、主に映像を作っていく仕事だったと思うんです。今回の『もも』は、沖浦さん自身が一から始めて映画全体を作っていったわけですから、取り組み方が全然違ったと思うんですが。
沖浦 そうですね。監督をやること自体は、自分で作りたい作品の内容を考えつくようなら、チャンスがあればやってみたいとは思うんです。それにはやっぱり原動力が必要なんですよね。だから『人狼』のあとは、原画を描きながら「何かをちゃんと作りたい」という気持ちが自分の中で高まるのを待つ、という感じでしたかね。
── じゃあ、今回は満を持して気持ちが高まったから、スタートしたわけですね。
沖浦 そうなんでしょうね、きっと(笑)。
── 最終的に明るく娯楽性の豊かな作品になっていったのは、企画を固めていく過程でそういう方向性にシフトしていった?
沖浦 いや、それは違います。ある程度、最初からギャグアニメにしようとは思っていたので。
── 「ギャグアニメ」なんですね(笑)。
沖浦 まあ、できあがった作品はギャグアニメというより、コメディという感じですけど、目標としてはそうでした。
── じゃあ、妖怪が面白おかしく踊ったり、主役の女の子がドヒャーと驚いたりするような場面も、最初からイメージしていた?
沖浦 具体的に個々のシーンで何をしようか、みたいなものはまだ考えてなかったですけど。画のイメージとしては、女の子とおじさんコント集団みたいな(笑)。
── 最初からオモシロ妖怪であることは間違いなかった?
沖浦 そうですね。
── 妖怪たちの正体や目的は、話を作りながら考えていったんですか。
沖浦 ええ。黄表紙(編註:江戸時代に流行した、大人向けの絵物語本のこと)を題材にするというコンセプトは元から考えていたので、それとの繋がりなどを考えた結果、今のかたちに落ち着いたんです。
── 黄表紙をモチーフにされたのは、どうして?
沖浦 黄表紙を扱った本を読んで、それが凄く面白かったんです。妖怪が人間と同じように日常を暮らしているという、リアリティのない世界観が面白いといいますか。元々、妖怪というのは人間が自然現象などにかたちを与えたもので、それが継承されるうち、どんどん具体的な姿形を得ていった。黄表紙では、その妖怪たちがさらに擬人化されて、人間たちと同じようなドラマを繰り広げている。だから、この映画では自然界にいる状態の妖怪とはまた違った類のものとして、擬人化された妖怪たちを区別したかったんです。
── ああ、そういう分け方なんですね。
沖浦 ええ。だから、イワ・カワ・マメの三人衆と、島に元々いる妖怪たちは、元は一緒なんだけど現在は違うかたちをしているんです。イワたちは人間がデザインした姿を借りているから。
── 三人衆のキャラクターは、実際の黄表紙に描かれている妖怪をモデルにしているんですか。
沖浦 いや、あれはオリジナルです。最初に企画書を出した時、何か画をつけないとサマにならないだろうと思って、やっつけで描いた画が元になってます(笑)。
── アニメーションとしては、緻密なリアリティとファンタジー要素が同居した、ちょっと珍しい手触りの作品になっていますよね。作っている間は、どんな仕上がりになると思っていましたか。
沖浦 実際のところ、やや不安もありまして……つまり、リアルな部分とコメディのバランスをどうとるかということですね。普通の芝居は現実をベースに描くしかないので、その上で妖怪たちをどんなふうに扱い、彼らが目の前にいることをどうやっておかしなこととして描くか。人間としてのリアリティを持っている主人公・ももと、リアリティのない妖怪たちが一緒にいた時、ものすごく異様な感じがするんじゃないかと心配していたんです。でも、画面になってみたら、そんなでもないかな? という気がしました(笑)。
── やっぱり日常生活を描く部分は、当初からリアリズムを基調にしようと思われてはいたんですね。
沖浦 うん、そこが自分の唯一のカラーというか……。きっと他の描き方とかアプローチだと、自分の中で生理的にうまいこと処理できないといいますか。別に「そうしたい」とかではなく「そうなってしまう」んだと思います。
── 「きっちりとリアルに描きたい」という欲求は、沖浦さんの中に揺るぎなく存在するんですね。
沖浦 まあ、人間を描く上では確かにあります。妖怪に関してはそれほどでもないですけどね。やっぱり人間の場合は、ちゃんと体重のある、皮膚を指で押せばポニョっと凹む人であってほしいな、と思いますから。
── で、奥に向かって歩いている時にも、きっちり歩数が合ってないと気が済まないわけですね。
沖浦 ……そうですね(苦笑)。
── 今回も執拗なまでに歩数を合わせてますよね。
沖浦 いや、今回は日本家屋が舞台なので、部屋の大きさとかも正確に決めてありますから。歩数が違えば、やはり違和感が生じてしまう。畳一畳分を歩くのにどのぐらいの歩数が適切なのかというのは、ちゃんと考えておかないといけない。それはコンテの段階で全部計算してやっています。まあ、それと作品の出来とは、なんの関係もないですけど。
── いやいやいや(笑)。
沖浦 そうやって決めておくと、後々のチェック作業とかも楽になるんですよね。
── ……ぶっちゃけた訊き方になりますけど、こんなに完成するまで何年もかかったのは、そういう丁寧な作り方だったせいではないんですか。
沖浦 いやあ、どうなんでしょうね(笑)。それも間違いなくある、とは思いますし、あらゆるところに時間はかかっていると思います。でも、そこを適当にやったからと言って、早くできたかというと……まあそうか、早くなるのかな?
一同 (爆笑)。
沖浦 でも、なんか気持ち悪いじゃないですか。部屋の中を撮る時って、ある程度は広角レンズで撮ったような画になるわけですよ。なのに、見た目の移動幅で動かすと、歩数をいっぱい描きすぎたりして、どんだけ距離が遠いんじゃ~みたいなことになりやすいんですよね。逆に見た目には一歩がえらく大きく感じても、空間をちゃんと設計して、それに合うように計算して動かせば、違和感はちゃんと吸い込まれるはずだから。そういう信念のもとに描いている、というだけなんですけどね。
── もう開巻早々、空間とキャラクターの動きをとことん緻密に計算して描いているのが分かって「凄えー!」と感心しながら観てるんですけど、それが2時間まるまる続くと、だんだん観てるほうも麻痺してくる(笑)。
沖浦 まあ、楽するところは、かなり誤魔化してやってますよ。アクションシーンとか、ギャグっぽいところでは、あんまり細かいことを考えても仕方ないですから。
●第3回につづく
●公式サイト
『ももへの手紙』公式サイト
http://momo-letter.jp/
(12.04.13)