『ももへの手紙』沖浦啓之監督インタビュー
第3回 実在感のあるキャラクターを求めて
── 今回、安藤雅司さんがキャラクターデザイン・作画監督として参加されていますよね。どういった経緯で安藤さんを起用されたんでしょうか。
沖浦 元々、安藤さんが(スタジオ)ジブリにいた頃から知り合いではあったんですけど、初めて『イノセンス』で一緒に仕事をして、自分のパートの作監を手伝ってもらったりしたんです。夜中になると、部屋に俺と安藤さんの2人だけになってしまって(笑)、よく喋ったりもしていた。だから、人柄とか絵描きとしての腕とかは、よく知っていたんです。今回の作品の内容や、絵柄としてもっていきたい方向性とかをいろいろ考えると、やっぱりいちばんの適任者は安藤さんしかいないと思ったんです。
── なるほど。基本的にリアル指向だけど、ある程度の「アニメ絵」っぽさもあり、人間も妖怪も両方描ける方だから。
沖浦 そうですね。リアルな中にもソフトな感じがあるというか。
── キャラクターデザインはどういうかたちで作られたんですか。
沖浦 安藤さんの参加が決まる前に、自分で作ったメインキャラのスケッチがあるんです。かなりラフなものなんですけどね。で、実際に安藤さんが参加してからは、そのスケッチをもとに安藤さんが本番のキャラ設定を描いて、それをまた俺がチェックして「ここはこうしてみましょう」みたいなやりとりをしながら、決めていった感じです。
── もものお母さんに、なんとなく『Paprika』の主人公っぽい面影があるのは、安藤さんのカラーなんでしょうか。
沖浦 あ〜、そうなんですかね。特に意識したわけではなく、たまたまなんでしょうけど。全体的な印象としては自分の描いたラフが元になっていて、細かい目鼻立ちとかのパーツに関しては安藤さんの絵になっていると思います。ただ、大おじとか大おばのキャラは、元の原案はなくて、安藤さんがゼロから描いてるんです。
── あ、そうなんですか。郵便局員の幸一とかも?
沖浦 幸一にはラフがありましたね。
── 実際の人物をモデルにしたキャラクターはいたりするんですか。幸一とか、ももの父親とか、いかにもその辺にいそうなリアリティがありますけど。
沖浦 あ、大おじは島のロケで会った方の印象を少しベースにはしていますが、その他のキャラにはモデルはいないです。ただ、あんまりリアルにしていくと、印象が薄くなってしまうこともあるので、その辺は気をつけています。ある程度の特徴は持たせて、他の人の中に混じっても分かるくらいに。
── 沖浦さんの中では、人間のキャラクターに関しては、みんな本当は目のところに(涙腺の)ポッチもあれば、鼻の穴もちゃんとあるリアルな人間として捉えてるわけですよね。個々のカットでそこまで細かく描くかどうかは別にして。
沖浦 いや、そこまで徹底してリアルであることを追求しているわけでは……鼻の穴は絶対に描いていると思いますけどね(笑)。今回、実際の作画のフィニッシュを見た時に「あ、こんなところに線が入ってたんだ」って驚くこともありましたよ。作業終盤では俺も作監をやっているんですが、顔に関しては安藤さんのレイアウト修正をもとに作監を入れるんです。で、その時に見慣れない線が引いてあることに気付いて。レイアウト時に全部チェックしてるし、作監上がりも全て見ているんだけど、気付いてなくって。「安藤さん、細かいなあ」と改めて思うことが結構ありました。
自分はレイアウト・原画チェックとかのフィニッシュの部分では、わりと大雑把なんです。そこは安藤さんが全部やってくれるから、自分では知らないことも多かった。
── それは、安藤さんが沖浦イズムを採り入れたのかもしれませんよ。
沖浦 だとしたら、気を遣ってくれたんですかね(笑)。
── 妖怪に関しては、やっぱり作画で楽しく動かすことを前提にデザインされたんですか。特に、カワとか。
沖浦 いや、カワは結構難しいんですよ。アゴがない顔というのは凄く描きにくくて。自分の中では、東映動画の『西遊記』に出てくる沙悟浄のデザインが好きで、そのプロポーションを元にイメージして作ったキャラクターなんです。もう何十年も観ていないので、うろ覚えなんですけど(笑)。
── そうなんですか。
沖浦 『走れメロス』にも闘鶏屋というキャラクターが出てくるんですけど、それも実は沙悟浄のイメージが元にあるんです。その時からすでに昔観た記憶だけで描いているので、完全に自分のイメージの中の『西遊記』なんですけどね。
── (笑)。カワは妖怪三人衆の中では唯一マトモといえるけど、そのぶん自分勝手で小猾くて、好感が持てるんだか持てないんだか微妙なところにいるキャラですよね。
沖浦 やっぱり、1人は人間みたいなヤツがいないと、話が前に進まないんですね。他がボケと大ボケだから(笑)。ちゃんとツッコんで前に進めていく人がほしいので、そういう配置になっています。
── マメのボケっぷりは相当ですよね。
沖浦 うん。「何も覚えない人」って凄いんじゃないかと思って(笑)。でも、最終的には彼だけが真面目に仕事をこなしていたことが分かる。
── イワはまさに「おじさん」の権化のような。
沖浦 そうですね。『じゃりン子チエ』のテツとか、ザ・ドリフターズのいかりや長介みたいな、ちょっと暑苦しいおじさんがいるといいな、と。怖い外見なんだけど中身はちょっと違って、実は周りが困惑してしまうぐらいおおらかな人であるという。
── オリジナル作品ですから優劣はつけがたいと思うんですが、特に思い入れのあるキャラクターはいますか。
沖浦 キャラとして思い入れがあるのは、いく子ですかね。単純に好きなのは、イワとかマメとか。
── いく子への思い入れが強いのは、どうして?
沖浦 元々、お母さんの目線で考えていた話でもありましたし、お母さんと亡くなった旦那さんの話という捉え方でも考えていましたから。ももほど登場場面は多くないけれども、その中で、いく子をどう表現できるかが作品のひとつの鍵になるとは思っていました。印象としては、美人でありながらも気さくで、自分のことを綺麗な人だとは全然思ってないぐらいの、普通の感じがする人。ちょっとおっちょこちょいだったりするけど、働き者で、てきぱき動く。ちょっとキャラとしてできすぎなところもありますけどね。
── 「こんなお母さん、いたらいいな」と思わせるキャラクターですよね。
沖浦 でも、ただ単純に「もものお母さん」というキャラクターではなく、ちゃんと「いく子」というキャラクターとして成立させたいなあと思っていました。彼女の存在感が薄くなると、やはり作品自体が弱くなってしまう。妖怪の姿を見ることができない「現実世界の代表」的な役割も含めて、大事に考えていましたね。あとは、ももと違って大人のキャラクターですから、描いていてまた別の楽しさがありますね(笑)。単にビジュアル的な問題ですけど。
── 主人公のももは、どんな子として描こうとしたんですか。
沖浦 今回は妖怪たちにもの凄く濃いキャラクターを想定していたので、主人公はある程度それを受け止められるような、普通にどこにでもいそうな平均的な子でいいのかな、とは思っていました。ただ、人間は誰しもそうですけど……子供は特に、親と一緒にいる時と、別の大人といる時、子供同士でいる時では、態度が全然違いますよね。例えば、家にいる時は「この子、こんな調子で大丈夫なんだろうか?」と思うくらいボーッとしてるかもしれないけど、外では凄くいい子だと言われていたり、しっかり者の一面があったりするじゃないですか。そういうことって、あって普通だと思うんです。
── なるほど。
沖浦 家では母親に対してつっけんどんな態度だったとしても、他の人といる時にお母さんのことを悪く言われたらイヤだ、みたいなこともあるわけですしね。もちろんキャラクターとしては一貫しているけれども、そういった部分をできる範囲で細かく拾うことで、ももの年齢なりのキャラクターがなんとなくできてくるのかな、とは思っていました。
── 人としての多様性や多面性も含めて「普通」の小学6年生の女の子を描こうと思った、と。
沖浦 そうですね。キャラクターを説明する上では「引っ込み思案」とか「人見知り」とか、何かしら単純な言葉で言い表すことも必要かもしれない。でも、それはある一面であって、実際には状況によって、もっといろんな面があるはずだと思うんです。
── 一面的には描かない、ということですね。
沖浦 そうです。『もも』では(人間のキャラクターは)みんな普通ではあるけれども、人間誰しも本当に「普通」であるわけはない。少なくとも自分と安藤さんの中では「ももはこういう感じだろう」というのが、いろんな状況に応じてきっとあるはずですから。実際に描いていきながら、そういう部分に気をつけて表情やリアクションなどを調整していきました。
── 例えば、ももの妖怪たちに対する強気な態度だったりとか。
沖浦 そうそう。妖怪たちといる時は、逆にお母さんみたいな感じになってしまうとかね。そういう関係性をできるだけ描こうと思っていました。あと、声の力は大きいですよね。やっぱり役者さんの持っているものと合わさると、グッと個性が出てくる。そういう意味では、ももはいいキャラクターになったんじゃないかな、と自分では思っています。
── 沖浦さんにとっては「ああ、こういう子いるよね」と思ってもらえるキャラクターにすることが大事だったわけですか。
沖浦 ええ。少なくとも、あまりにも人として不自然だと、どんなにキャラが立っていたとしてもマズいと思いますから。
── 可愛すぎたり、利発すぎたり。
沖浦 ま、現実にそういう子もいるでしょうけどね。
── もものお父さんについては、どういう目線で描いていたんですか。例えば、自分と近しい立場として考えていたとか。
沖浦 いや、どちらかというと自分に寄せては見ていなかったと思います。ただ、作品全体を通して、お父さんの目線は表現したかったんですよね。姿形はなくても、どこからか残された家族のことを見ているかもしれない。実際にそういうカット自体は存在しないんだけど、なんとなく全体を俯瞰しているような、そんな眼差しを感じられるようになればいいな、とはイメージしていました。
●第4回につづく
●公式サイト
『ももへの手紙』公式サイト
http://momo-letter.jp/
(12.04.20)