animator interview
橋本敬史(2)やがて、メカ&エフェクトアニメーターに

小黒 それで、じゃんぐるじむにはいつまでいたんですか。
橋本 4年間ですね。当時、じゃんぐるじむはあらかたのスポーツアニメをやってたんです。『あした天気になあれ』でゴルフがあって、『奇面組』や『燃える!お兄さん』にも、水泳だったりテニスだったり必ずスポーツの話数があった。それがだんだん嫌になってきたんです。次は『(名門!)第三野球部』だと言われて、「また野球とか描かなくちゃいけないの?」って──その時すでに、先ほど言った大張さんの原画とかも見ていたので、そろそろ辞めてもいいかと思って。『(ミスター)味っ子』は毎回それなりに、好きにできたんですけどね。ロボコックの回も、2回原画をやってるんですけど。
小黒 ロボコックが走ったりするところですか?
橋本 かもしれないです。どのあたりを描いたのかは記憶にないんですけど。その頃には、動画の他に『アップルシード』等の原画のアルバイトもしていたAICさんの方で、自分の机を作ってくれるとも言われていたので、それで辞める決心をしたという感じです。もうちょっと儲けたいな、という気持ちもあったし。あとはやっぱり、メカもの・アクションものがやりたかったので、これは外に行くしかないと。
小黒 実際フリーになられて、メカはやれたんですか。
橋本 それがですね……AICで『天地無用!(魎皇鬼)』を作った林宏樹さんという方と知り合って、『バブルガム(クライシス)』というメカものをやるから来い、と言われたんですけども、結局なかなか『バブル』が動かなくて。フリーになって最初の2本ぐらいは、エロものをやってました。その後ぐらいから、AICはずっとメカものをやっていく感じになったのかな。同時期にまた、竹内昭さんという知り合いができて、その方の紹介でスタジオファンタジアにも机を借りたんです。その頃グロスで『味っ子』をやったりしていて、ちょうど原画マンが足りなかったらしいんですね。その2ヶ所にまず机をいただいて、フリーになったという感じです。
小黒 AICとファンタジア、両方でお仕事をされていたんですね。
橋本 そうです。ファンタジアには、これまた自分にとって憧れの人だった、もりやまゆうじさんがいらして。『うる星やつら』の修正集とか持ってましたからね。実際『うる星』の原画を、もりやまさんの修正を見ながら描いたりしてましたよ。ファンタジアでは『(楽しい)ムーミン(一家)』とか、『(宇宙船)サジタリウス』とか、『(戦え!超ロボット生命体)トランスフォーマー』とかを、外人部隊のようにチョロチョロとやったりしてました。AICでは、中に机を作ってもらって最初にやったのが『RIDING BEAN』か、『バブル』になるのかな。当時は作品数が凄く多かったので、ちょっと混沌としてるんですけど、その辺が最初かもしれないですね。
小黒 その頃、ご自身にとって大きかったお仕事は何になるんですか。
橋本 やっぱり『RIDING BEAN』で、大平君とたまたま知り合えた事が大きかったですね。AICの中でも、私はカットをいっぱい上げるという事で重宝がられていて。毎日コツコツと、こぼれそうなカットをどわっとやっている時に、ちょうど『AKIRA』を終えた大平君が『RIDING BEAN』の作監をやるという事で、私の後ろの机に来たんです。それからは、『AKIRA』の原画を見せてもらったりとか、エフェクトの描き方が分からない時は、大平君に訊くと「こういう処理で、こういうタイミングで、こういうものを描けばいい」と即答で教えてくれる。実写のビデオとかを見せてくれたりして、いろいろ教わりました。まさに私の先生ですね。
小黒 そこまで大きな存在なんですか。
橋本 まあ、本人には「先生」とは言わないですけど(笑)。
小黒 『AKIRA』はご覧になっていかがでした?
橋本 いや、凄かったですね。自分が学生時代に作った同人誌でも、尊敬する人は大友(克洋)さん、湖川(友謙)さん、金田さんの3人を挙げていて、中でも大友さんは断トツで凄いものを作ってるなあと思ってました。マンガがそのまま動いてる感じというか、とにかくショックでしたね。当時、AICの中でも『AKIRA』をやってた人がいたり、同じような時期に『ファイブスター物語(The Five Star Stories)』とか『ヴイナス戦記』とか、あちこちに駆り出されてやっている人達がいて、それを見て「すんげえなあ」と思ってました。同じくらい『王立(宇宙軍 オネアミスの翼)』もショックでしたね。じゃんぐるじむ時代から、会社は違うけど友達だったまついひとゆき君が、ガイナックスから『王立』の動画を取って仕事をしていたんです。それで彼に原画を見せてもらって、「世の中はこんな凄い高度な方向に行ってるんだ……」とか思って。実際フィルムを見ると、やっぱり凄いじゃないですか。業界全体が『AKIRA』『王立』ショックで、そこから方向が変わったような気がするんですよ。煙の描き方ひとつとっても変わったじゃないですか。
小黒 確かに煙は変わりましたね。
橋本 ああいう表現ってどこから出てきたのか、いまだに分からないんですけど。
小黒 あの脳ミソの皺というか襞のような煙って、『AKIRA』の前には見た事ないですよね。
橋本 ただ、カプセルが浮上するところを描いた本谷(利明)さんが、中村プロでやった『HELL TARGET』とか、AICの『メガゾーン(23)』かなんかで、やっぱり脳ミソみたいな煙を描いてるんですよ。もしかしたら本谷さんがああいう方向の先鞭をつけたのかもしれない。
小黒 なるほど。
橋本 本谷さんは写真の煙をトレースしたりして、研究していたそうですよ。「炎の日」という写真集(爆発事故を起こしたスペースシャトル・チャレンジャー号の写真集)の煙をトレスしたと、本人に聞いた事があります。余談ですけど。
小黒 いえいえ、アニメ史的には大事な話ですよ。
橋本 (笑)
小黒 『王立』でショックを受けたのは、メカの質感とかですか。
橋本 というか、画面の情報量──両作品とも情報量が凄いという事と、『王立』では実写的な表現を極めていて、片や『AKIRA』ではディズニーのフルアニメにかなり影響を受けた感じの動かし方をやっている。昔の東映長編じゃないですけど、凄いなあと思いましたね。いつかそこに入りたいな、と。当時、周りにそういう凄い事をしている人達がたくさんいたので、もうちょっとで手が届くんじゃないか、と錯覚してたんです。
小黒 ご自身はその頃『プロジェクトA子(PROJECT "A" KO)』とかに参加されてたんですか。
橋本 そうでしたっけ? ちょっと時期的に曖昧なんですけど……。
小黒 『A子 完結編(PROJECT A-KO -FINAL-)』が1989年だから、『AKIRA』の翌年なので、大体そのあたりではないかと。
橋本 じゃあ、そうなのかな。ちょうど自分の中では量産期に入っていたので、いろいろ前後しちゃってよく分からないですけど。『A子 完結編』では、原画を80カットぐらいやりましたね。
小黒 どのあたりを描かれたんですか。
橋本 ロボットが変形したりするところは吉田徹さんなんですよね。私がやったのは変形直後と、その直前のところです。体育館に兵士が入ってきて、どっかんどっかんしたりする界隈。もう本当にキャラクターを動かしたくてしょうがなかった。しかも、『A子』って1作目が凄かったじゃないですか。
小黒 そうですね。
橋本 原画本みたいなムック本ありましたよね。あれを見ながら「あ、田村英樹さんはこんな原画を描いてる」とか、「増尾(昭一)さんはこんな動きをやってる」とか思いつつ、一所懸命やったような記憶があります。それが終わって、『A-ko The ヴァーサス』という作品で、初めて作監をやらせていただいたんです。
小黒 メカ作監ですね。正確にはメカ&モンスター作監でしたっけ。
橋本 あ、そうでした?
小黒 確か、竜みたいなモンスターが出てきて……。
橋本 ああ、そうですね。あの竜は前田真宏さんがデザインしてくれたんですよ。で、キャラ作監が西島(克彦)さん。
小黒 そうです、そうです。
橋本 WEBアニメスタイルにある大平君のインタビューで、「『A-Ko 3』で原画を凄くいっぱい描いたんだけど、フィルムにならなかった」と言っていますが、大平君の勘違いなんです。あれは『A-ko The ヴァーサス』なんですよ。
小黒 そうなんですか。
橋本 実際は、大平君の原画もフィルムになってます。ホントに紙袋いっぱいの原画があって、確か6秒ぐらいのカットを、大平君は57秒か58秒に延ばしちゃったんですよ(笑)。それはさすがに無理なので、西島さんは全部捨てると言ってたんですけど、「自分がなんとかするから」という事で、20秒以内に収めるんだったら使っていいと言われて。それで大平君には申し訳ないんだけど、ちょっと早回し的な感じにしたりとか、原画を少し抜いて簡略化したりとかして、どうにか使いました。その原画はいまだに家に置いてありますよ。元のシートと共に(笑)。
小黒 現物があるんですか(笑)。それは結局、どういうカットだったんですか。
橋本 なんか、C子ちゃんが呪文を唱えると、空から光がビューッと出て、垂れ下がって卵のようになり、それが割れて竜が出てくるという。
小黒 はいはい。
橋本 それが、そもそも最初の呪文だけで10何秒とかあって(笑)。真ん中あたりもたっぷりやっていて、竜も巨大なので凄くゆっくり動かしてたんですよ。それをもうちょっと早めに、早めに、という感じで調整しました。画面上ではそんなに違和感はなかったと思いますけどね。気を遣ったつもりなんですけど、まあ本人はもちろん嫌でしょうね。
小黒 「描いたうちに入らん」とか言いそうですね。
橋本 そうそう(笑)。
小黒 橋本さんが参加されたのは、『A-ko The ヴァーサス』の下巻の方ですよね。
橋本 そうです。2本とも同時期に作っていて、上巻はよその会社で、本橋(秀之)さんが作監でやってました。要するに同じ『A子』でも全然違う色のものを2本同時に出そうという企画で、僕は下巻の方を。それで、その頃に知り合っていた戸倉(紀元)さんや大平君に、原画をやってもらったという感じですね。
小黒 ここから、橋本さんのメカ&エフェクトアニメーター道が始まるという事なんですか。
橋本 そうですねえ……。当時はあんまりメカとかエフェクトとか、意識はしてなかったんですけども。ただ、ファンタジアはやっぱり、もりやまさんありきなので──ビデオシリーズって内容的に重いじゃないですか。それで、もりやまさんがキャラ、私がそれ以外という形式で、ずっとやるような感じになった。『(魍魎戦記)MADARA』とか、『EXPER ZENON』もそうです。その前後で、大平君がD.A.S.Tに机を借りて中でやるという話があったので、僕もD.A.S.Tにも机を作ってもらったんです。だからその時は、AICと、ファンタジアと、D.A.S.Tと、あと今のA.P.P.P.の前身でもあるスタジオ88というところにも机を作ってもらって、その4ヶ所をぐるぐる回っているような感じでした。そこで(橋本)晋治君を始め、大平君とかフタちゃん(二村秀樹)とか、いろんな濃い方達に遭遇したんです。もちろん、板野(一郎)さんも凄く濃い方ですしね。
小黒 スタジオ88とは、どういう繋がりで?
橋本 当時、板野さんがD.A.S.Tで『Angel Cop』をやりつつ、スタジオ88で『孔雀王2(幻影城)』をやっていたんです。同時期に『VIOLENCE JACK(HELL'S WIND)』も作っていて。
小黒 その時も橋本さんはフリーだったんですか。
橋本 そうです。じゃんぐるじむを辞めてからはずっとフリーですね。週に1回家に帰って、あとはもう各スタジオを2ヶ所ずつ廻って泊まる、みたいな日々を送ってました。D.A.S.Tでは『Angel Cop』をやって、スタジオ88では『孔雀王2』と『VIOLENCE JACK』を一緒にやって。大平君はその時、確か『御先祖様(万々歳!)』と『孔雀王2』を両方やってた時期だと思うんですけど。『孔雀王2』の方には宇佐見皓一さんとか、もといぎひろあきさんとか、もちろん和田(卓也)さんもいらっしゃいましたし。とにかくそのふたつの会社は、アクの強い人達ばっかり集まってたんです。上がってくる原画も凄い枚数になるのが多くて、それをひたすらコピーしながら(笑)……ホント、当時はコピー魔だったんですよ。今まで魔女っ子ものとか、土田プロ系のものしかやってなかったので、バイオレンスがあったりメカがあったり、凄いアクションがあったり、とにかく全てが新鮮で。いろんなものを吸収してる時期だった気がします。
小黒 その頃に、橋本さんの作画の傾向が決まったんですか。
橋本 そうですね。まあ、一方で『(魔法のプリンセス)ミンキーモモ[新]』の作監をやったり、『(魔法のエンジェル)スイートミント』をやったり、『あしたへフリーキック』をやったり。キャラものはその3本くらいだったと思うんですけど、あまりこう、キャラクターに思い入れがなくなってきたというか。
小黒 (笑)
橋本 生意気な事を言うと、観ている方に女の子のキャラを「どうだエロいだろ」「可愛いだろ」って媚びるのが、凄く嫌になっちゃったんですよね。その頃に知り合った桂(憲一郎)君とか、柳沢(まさひで)君とか、小森(高博)君とか、とにかくエロいし可愛い画を描ける人達が周りにいっぱいいたので、同じ土俵でやったら絶対に勝てないな、と。特に桂君は凄まじい能力を持っていて、凄く可愛い画を描くし手も早い。それよりは、大平君みたいなちょっと特殊なアニメーターとしてやっていくのもいいんじゃないかな、とか思ったんですよね。大平君は、家で仕事をしてるか、D.A.S.Tの中に籠もって描いてるかという感じだったので、その技術って当時あまり外に出てなかったと思うんですよ。あれを真似しようとする人もそんなにいなかったと思う。大平君や戸倉さんという先生が傍にいて、いろいろ教えてくれるんだったら、そっちの方向を追いかけてもいいんじゃないのかな、と思ったんです。
小黒 なるほど。
橋本 あと、AICではちょうど『(破邪大星)彈劾凰』が終わって、『(冥王計画)ゼオライマー』をやったりしてた頃かな。その時に出会った仲盛文さんという、ガンダムとかを描かせたら日本一の人がいまして。その人は本当に教えるのが好きで、まめに私の机に来てメカの描き方を教えてくれたんですよ。それこそ楕円の描き方から始まって、「車の描き方はこうだよ」「パイプなんてのはこうやって描けばいいんだよ」とか。大張さんは大張さんで、私が訊きに行くと、いわゆる大張タイミングとか、大張メカの描き方を教えてくれたり。
小黒 メカ・エフェクト道を究めるには恵まれた環境だったんですね。
橋本 なんというか、そっちのほうがキャラクターをやってるより大らかな感じがしたんです。当時、キャラクターはどんどん画一化して、みんな同じような方向を向き始めていたと自分は感じたんですよ。例えば眼の描き方ひとつとっても、ひとつブームがあるとみんなそっちの方向へ向いてしまう。それが悪いというわけじゃないですけどね。それに比べて、メカとかエフェクト、アクションのほうは結構野放しで、みんな好き勝手な方向を向いて自分のスタイルでやっていると思ったんです。そのほうが、自分は向いてるんじゃないかなと。そもそも山下さんとか金田さんみたいな、ちょっと特殊な感じの作画をやりたかったものですから。だったらもうメカとかエフェクトの方向で行こう、となった感じですね。

●「animator interview 橋本敬史(3)」へ続く

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