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■押井マニア
知ったかぶり講座!
 

『スカイ・クロラ』公開記念
押井マニア、知ったかぶり講座!

藤津亮太  

第7回 押井守監督が実写映画を撮る理由

 押井守監督の実写映画、である。
 これを話題にするだけで微苦笑を浮かべる人もいるだろう。
 取っつきにくい雰囲気を醸しながらも、まがりなりにもエンターテインメントの要素を含んでいるアニメ作品に比べ、実写映画のほうは完全に自主映画、やりたい放題やっているだけじゃないか――。そう感じている人はどうやら少なくないようだ。
 でも、ちょっと待ってほしい。
 確かに「やりたい放題やっている」というのは一面で当たっている。でもそれは、単なるデタラメとはまったく違う。押井は自分の映画に対する姿勢と考えを、実写映画を通じて学び、鍛え、実践しているのである。押井にとって、実写映画は「映画とは何か」という本質を探る実験場、フィールドワークの場なのだ。
 実験である以上、その作品の中では「ここまでいくと映画でなくなる」「ここに触れると映画になる」といったギリギリの線が探られることになる。それが時に乱暴な「やりたい放題」や無邪気な「自主映画」に見えることもあっただろう。
 だから、押井の作品を深く理解したいのであれば――あるいはより濃いめの押井マニアを気取りたいのであれば――実写映画はさけて通れない。そこに押井の本質が潜んでいるといっても過言ではない。

 押井の実写映画をその傾向で大きく分けると次の二つに分けられる。

■映画の原点確認編
「紅い眼鏡」
「ケルベロス 地獄の番犬」
「TalkingHead」

■すべての映画はアニメ編
「Avalon」
「立喰師列伝」

 「映画の原点確認編」の3作品は、先に書いた通り、押井の実験場として使われた作品だ。それだけにクセもある。
 ではその実験場で何が試されていたのだろうか。
 実は「映画とは何か」という問いかけは、実は「監督とは何か」という問いにも置き換えられる。
 「映画とは何か」という問いの後ろに「これは映画である/これは映画ではない」という判断がそこにある、ということでもある。
 それを判断するのは誰なのか。
 作り手の側でジャッジできるポジションにあるのは、いうまでもなく監督だ。
 では、監督は具体的に何をコントロールして、その判断を行うのか。
 監督の判断という点だけ取り上げれば、実写映画はおどろくほど不自由だ。
 フレームを決めたところで、演技は役者に委ねられてしまうし、天候が思い通りになるとも限らない。撮影中のアクシデントがフィルムに記録されてしまうことだってあるだろう。全てを絵として描くアニメと比べて、正反対のメディアともいえる。そして、その不自由さが情報量の多さや偶然性に支配される実写の豊かさを保証もしている。
 だからこそ、なのだ。
 そんな不自由な状況だからこそ、監督が何をコントロールすれば「映画」を獲得することができるのか、その問いかけが明確になる。「映画の原点確認編」の3本がいずれも低予算あるいは厳しい撮影環境の下で撮影された、不自由な作品だったのは偶然ではない。
 押井がこの3本で確認したことは大きい。
 それを凝縮するなら本人が「紅い眼鏡」について振り返った「どんなでたらめをやっても映画になるんだ、という開き直りの根拠となった」という一言になるだろう。
 そして「紅い眼鏡」も「ケルベロス」も、混沌とした撮影現場であっても、編集と音響によって作品としてのまとまりを得たことを考えるに、押井はこの時、「映画になる」ということの本質として、編集と音響の重要性を再確認したのではないだろうか。

 そして実写の不自由さを経験したからこそ、アニメの自由さもまたよくわかるようになる。さらにそこに映画制作の急速なデジタル化という状況が加わった。それが押井の実写映画の次のステージを用意した。
 アニメの自由さというのは、絵であるが故に、その内容を作り手が徹底的にコントロールできる、というところにある。ところがデジタル化により実写映像もまるで絵のようにアレコレといじることができるような時代が到来したのだ。つまり、映画制作がデジタル化されれば「実写映画の不自由さ」と「アニメの自由さ」という二つのメリットを統合することができる。
 実写映画の情報量の多彩さや偶然性を取り入れつつ、最終的にはそこから情報量を足したり引いたりして、アニメのように人工的に画面を完成させること。これこそが押井のいう「すべての映画はアニメになる」ということだ。
 この実践が「すべての映画はアニメ編」の2作だ。
 「Avalon」は、ポーランドで撮影した実写映像を徹底的に加工し「白がハレーションを起こし、黒が滲む」という紙焼きのモノクロ写真のようなテイストの画面を作り出した。そのほか空を合成するなど、自然に見えるが、驚くほど複雑な工程を経て「Avalon」映像は作られている。
 一方「立喰師列伝」は、キャストをスチール撮影し、CGでペープサートのように加工してアクションを加え、見るからにアニメとも実写ともつかない映画にした。絵でない人間がペープサートとして表現されている映像には独特の違和感があっておもしろい。※
 おそらく今後押井が、実写で長編を監督することがあるとするなら、おそらく「すべての映画はアニメ編」のスタイルを踏襲するのではないだろうか。

 このほか押井は短編(「KILLERS」「真・女立喰師列伝」などのオムニバス作品に収録)があるが、これらは基本的に「映画の原点確認編」の延長線上にある。おそらく押井は、時折アニメの現場を離れて、さまざまな不自由の中で撮影することで、「映画とは何か」を忘れないようにしているのだろう。

 ところで前回、押井のアニメ制作スタイルについて書いた。押井はレイアウトまで自らチェックして、その後は信頼できる演出に処理を任せる、と。当然ながらこれには続きがあって、フィルムができあがった後、押井は再び現場に入り、編集・音響作業を行い、作品を完成させるのである。
 この制作スタイルは実写映画と似ているとは思わないだろうか。
実写ではフレームを決めるまでは監督が介在できるが、撮影の最中の演技などには干渉のしようがない。レイアウトからラッシュフィルムができあがるまでを他人に委ねてしまうのも、それと同じ発想なのではないか。
 そしてその上で押井は、ポストプロダクションを経て、自分の映画を作り出すのだ。
 こうしたある種の「見切り」も、実写監督の経験が色濃く反映されているように思う。その点において押井の中では、アニメと実写の間にそう大差はないのかもしれない。
 では、次回は「すべての映画はアニメ編」への助走ともいえる幻の作品「G.R.M」を含む「幻の映画」を取り上げようと思う。


※「立喰師列伝」の手法は宣伝上“オシメーション”と呼ばれているが、ここでは広く実写に含めた。


Avalon
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カラー/111分/(本編106分+特典映像5分)/ドルビーデジタル(5.1chサラウンドEX・ドルビーサラウンド)/片面2層/16:9(スクイーズ)/ビスタサイズ/日本語字幕・英語字幕付(ON・OFF可能)※ポーランド語オリジナル音声(5.1chサラウンドEX)と日本語吹替音声(ドルビーサラウンド)を収録。
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立喰師列伝
BCBA-2624
カラー/106分/(本編104分+映像特典2分)/ドルビーデジタル(5.1ch・ドルビーサラウンド)/片面2層/16:9(スクイーズ)/ビスタサイズ
価格/5040円(税込)
発売元/バンダイビジュアル
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真・女立喰師列伝
GNBD-14807
本篇123分+特典7分/片面・2層/カラー/16:9LB/ビスタ・サイズ/トールサイズ/リージョン:2
価格/4935円(税込)
発売元/ジェネオン エンタテインメント
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●関連サイト
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公式サイト
http://sky.crawlers.jp/

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(08.08.18)

 
 
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