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第4回 『ファイトだ!!ピュー太』研究報告
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6月25日(土)と26日(日)、多摩美術大学の八王子キャンパスを会場として「第7回日本アニメーション学会大会IN多摩美」が開催された。私はその2日目のほう、26日の午後1時より、レクチャーホールで『ファイトだ!!ピュー太』についてささやかな研究報告をさせていただいた。
アニメスタジオ史研究のなかでも、特に謎の多かった“放送動画制作”の実態と、同社が製作した『ファイトだ!!ピュー太』のスタッフ人脈の特徴。今回、DVD-BOXにまつわる調査・取材を通じて判明したことを、少しでも世に知らしめたいと思ったのだ。加えて、こんなによく動く隠れた名作テレビアニメがあるのだという事実を、映像の部分紹介によってアピールし、列席者のみなさんに興味を持ってもらいたい、との願いもあった。
発表の概要は以下の通り。(株)放送動画制作というのは、『おそ松くん』を企画・製作した在阪のテレビ局・毎日放送の傍系会社である。『おそ松くん』のときにはチルドレンズ・コーナーやスタジオ・ゼロという外部スタジオへの全面外注によりアニメを制作したのだが、次作『かみなり坊や ピッカリ★ビー』になると、チルドレンズ・コーナーと並んでこの放送動画制作を実質的な制作現場として活用するようになった。さらに第3作『ファイトだ!!ピュー太』では、現場を放送動画制作に1本化している。つまり毎日放送としては、他社への外注に頼らず、自社が直轄できるスタジオを設けたいという意図があったと思われる。場所は有楽町駅近くの“蚕糸会館”ビル内。東京西部に集中しがちなアニメスタジオとしては、ちょっと変わった位置にあった。代表取締役は、毎日放送の役員だった関亨だと伝えられているが、あくまでも形式的なもので、スタジオ内の実際上の切り盛りは、プロデューサーの斉藤賢が中心になって行っていた。そして、ここに斉藤と親しい光延博愛、永沢詢という2大イメージ・リーダーが参画することで、彼ら3名の人脈を核としたスタッフが同社のメンバーとして集められることとなった。それが近藤英輔、倉橋孝治、竹内大三、小華和ためお、彦根のりおといった顔ぶれである。全員が東映動画出身者であり、その観点から、放送動画制作は虫プロやAプロと並ぶ、いやそれ以上に純度の高い“東映動画系スタジオ”だったということが判る──こんな具合である。
とは言うものの、学会の発表って、一人に与えられた時間が正味15分しかない。質疑応答を含めても20分。話したいことは山ほどあるのに時間はアッという間に過ぎ、用意していった参考映像も途中から早廻しするハメになってしまった。こちらの趣旨がどれほど伝わったか、反省することしきり。また何か機会があれば、このテーマについてはさらに研究を進め、発表したいと考えている。
ちなみにこの席上、当時の“蚕糸会館”の場所を示すため、有楽町駅周辺の地図を映写した。そのイラストを描いたのは“みっちゃん”こと道原しょう子、私の奥さんである。この1枚を描くのに、国際フォーラムの敷地は前は何だったっけ?(答えは都庁)とか、旧・日劇の敷地の建物の形が判らんとか、けっこう苦労があったのだが、実際はわずか10数秒で通り過ぎてお終い。あまりに申し訳ないので、ここで陰ながらの健闘を称えたいと思います。ありがとう。
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