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第15回
「過渡期の時代、ダイモスの頃」(闘将ダイモス DVD-BOX)

氷川竜介(アニメ評論家) 

 私の商業誌デビューは、『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開を控えた1977年の春ですので、今年2007年でちょうど30周年。『闘将ダイモス』とはちょうどその当時、デビュー直後に始まった番組でして、アニメマスコミというものが確立し始めて仕事をした最初期のアニメということになります。ですから、作品そのものの内容というよりは、当時の状況のいろんな記憶といっしょに混じり合って覚えているんですね。
 ここでは作品論を述べるよりは、そうした「過渡期の証言」みたいなものを残しておきたいなと思います。

●アニメ雑誌黎明期に立ち上がった作品

 まず時期的なことですが、アニメ専門誌「月刊アニメージュ」(徳間書店)は、劇場映画の『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978年7月公開)合わせですから、同年5月27日に創刊されています。『ダイモス』も、創刊すぐに表紙を飾ってはいるものの、新番組情報としては間に合ってはいないんですね。
 それでも、実はハイエイジ向けへのアニメ情報提供が始まった最初期の作品ではあるんです。日本サンライズ(現:サンライズ)も独立してまだ間もない時期ですし、そういうあたりが「過渡期」の印象につながってるわけです。
 1977年にアニメブームが起きたきっかけになった「月刊OUT」(みのり書房)は、号を重ねるにつれてアニメ特集をする傾向が強くなっていき、だんだん判型も大きくなってB5に近づいていきます。さらに姉妹誌としてA4サイズの映像ムック誌「ランデヴー」が創刊され、私もその辺の仕事に駆り出されていく機会が増えていきました。その中でも『闘将ダイモス』の記事を扱った記憶は、わりと中核にあります。
 特に1978年の春番組については、まだど素人なのに特集記事をやれと言われまして、生まれて初めてネクタイをしめて、TV局から番宣資料を集めたりしました。結局、仕事のやり方がまだよく分からなかった時期なので、途中で放り出したイヤな記憶も残ってて、あまり思い出したくはないんですけど(苦笑)。
 ちょうどこの年の夏には「スター・ウォーズ」が公開されるということで、宇宙SFブームが来ようとしてました。だから集めた番組資料も、『SF西遊記スタージンガー』『宇宙海賊キャプテンハーロック』「スターウルフ」と見事に宇宙SFばかりだったんです。
 中でもテレビ東京(当時:東京12チャンネル)に行ったら、『スパイダーマンROB』という資料があって、これは例の東映の特撮番組のことなんですが、すでに「池上遼一+平井和正」の和製スパイダーマンになじんでいたわれわれでも、巨大ロボットに乗るというのに目を白黒させたもんです。それが30年後には新たなハリウッド映画としてリメイクされているのも奇縁ですが、この「特撮ヒーローが巨大ロボに乗り始めた」というあたりが、1978年とはまさに時代の節目だったことを示しているように思います。

●『ダイモス』と出渕裕さんのデビュー

 そういう中で、どうして『闘将ダイモス』と個人的にも強い接点ができたのか?
 これは、当時の私が2代目の会長をやっていた『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブに密接な関係があるんです。会員の中には出渕裕さんという名前の方がいまして(笑)、後に特撮&アニメのマルチクリエイターとして高名になる彼を経由してのことでした。彼は彼でガミラス専門の自分のファンクラブもやっていたんですが、お互い住んでたところが横浜だったので、いろいろと会誌の編集も手伝っていただくことになったわけです。
 もちろん『ヤマト』は『ヤマト』で、やりたいことがまだまだいろいろ残っていた時期でしたが、専門性&資料性の高い「会誌」の他に、コミュニケーション的要素を強めに他のアニメ作品も扱う総合誌的な編集方針の「会報」も編集していました。その誌面で『超電磁ロボ コン・バトラーV』を特集することになり、出渕裕さんに一回うちに来ていただいて突貫で編集をしたんですね。
 その当時は設定書なども自分で縮小コピーをかけ、タイプ文字やレタリングをすべて切り貼りで作っていた時代です。かすれて劣化したコピーの修正が出渕裕さんは異様にうまくて、確かそのとき、『ダイモス』も新番組紹介として修正してもらったはずです。
 それで出渕裕さんが長浜忠夫監督と文通をしているという話題になって、「一回、日本サンライズにいっしょに行きませんか?」という話になったんだと思います。それが彼のデビューとして、後に知られるようになる出来事なんですね。
 いろんな本は、出渕さんが「ダイモスで持ち込みをした」みたいに書いてあるでしょ? あれって、持ち込みとは厳密には言えないんです。彼は『海のトリトン』のファンクラブ平塚支部の出身で、評論家の小谷真理さんもそのメンバーだったと思うんですが、その人脈で『エスパリオン』という自主アニメ企画を進めていたんです。『超人ロック』とかその系列の超能力ものでしたが、その設定書を同人誌にまとめたものを長浜監督に見せたら、確かライオンのサイボーグだったと思うんだけど、そのデザインを気に入ったので、一度ぜひオリジナルでメカ怪獣を描いてくれみたいな、そんな話だったと思います。
 ですから「持ち込み」ではなく「長浜監督に見初められ、仮発注を受けた」というのが正確な経緯のはずですね。

●人の才能を見いだすのがうまい長浜忠夫監督

 それでオリジナルのメカ怪獣を出渕さんが描き、長浜監督に見せにいった最初の怪獣が、第19話に出てくるガツールという上半身が球に変形する戦闘ロボなんです。上半身へのボリュームのつけ方とかコウモリみたいな凶暴な顔とか、当時から非常に卓越したデザインセンスのもので、これは私もうまいなと思いました。実際、ほぼオリジナルのまま金山明博さんが設定書に起こしているはずで、最初からかなりの完成度があったんです。
 長浜監督のリアクションも、「これだよ!」みたいな感じで、ものすごく良かったですね。記憶している長浜さんのお言葉としては、「最初の1枚からこれは、非常に素晴らしいし嬉しい。このレベルで何十体と描いていければ、本当にこれはものになる」という感じのもので、それはもう笑顔満面でした。そんな風に人の才能を見いだして、うまくクリエイティブな成果を引き出す力が、非常に強かった方なんです。正直、いっしょにいた私の方は「そうは言ってもまだ彼は浪人生なんだし」「プロで食っていくるのは厳しいだろうに」とか思ってたくらいですから、人を見る目がまったくないわけですよ(苦笑)。
 ああ……でも、それで少し思い出してきたんですが、オマケでくっついてった私の方もなんだか長浜監督に気に入られたような、そんなような発言もありましたね。確か春から始まった番組の感想とかいろいろ聞かれたのかな。その感想に少しは的確なところがあったんでしょうか。「アニメを観る言葉をもつ人」として少しは認めていただいてたのなら、とても嬉しいことです。
 逆に長浜さんの方にもいろいろ質問をしたんですが、とある新番組のクライシスの作り方と、その解決になるドラマツルギーが明らかにおかしい、あれでは視聴者がスカッとしないという意見がありました。その話は最近になって物語づくりの根幹を研究していくと、非常に良く分かることだったりするんですが……もっと突っこんだ話をいろいろすれば良かったという思いも残ってますね。
 その長浜さんに紹介していただいて、『ザンボット3』を終えたばかりの富野由悠季監督に会いにうかがうという、今にして思えば若気の至りで赤面の極みなこともしましたが、その辺は詳しく書いたことがあるので略します。

●出渕裕さんの仕事内容

 出渕さんの方はそれからは『ダイモス』の怪獣担当になっていくわけです。当時は私も雑誌などの仕事も「アルバイト」気分だったし、彼の方もいきなりのプロ意識ではなく、最初はバイト感覚があったのかもしれませんね。ただし、『ダイモス』の仕事って、やはり当時私が出入りしていた児童雑誌「てれびくん」(小学館)の編集部に、口絵とかの参考用に回ってきていたので、よくコピーして持ち帰りましたが、それはアニメ資料としてもなかなか興味深いものだったんです。
 途中参加ということもあってクレジットもされていないので、『ダイモス』の出渕さんの仕事は「ゲストメカニカルデザイン」だと思われたり、資料によっては「原案」や「ラフデザイン」などと書いてあるかと思うんですが、私から見るとそれとはちょっと違うタイプの仕事をされていました。たとえば本編の正式デビュー作はガツールより前の第16話のゴンザルドになるんですが、これはシナリオに書いてある要素からつくった戦闘メカです。たとえば円盤型の本体の上に上半身が乗っているとか、顔面が般若のように変化するみたいなデザイン要件は、シナリオから抽出しているはずです。
 設定書として金山明博さんが作画用にクリーンナップしたものは外形しか描かれていませんが、出渕版にはそれ以外にも、ゴンザルドだったらトゲの部分が手裏剣になるとか、シナリオにないパーツからもビームやミサイルが出るなど、コンテマンが戦闘を盛りあげて演出するためのアイデア設定みたいなものが山盛り描かれ、そういう依頼だったはずなんです。ですからラフを出してフィニッシュ、という単純なフォーメーションではなかったはずです。もっと作品に踏みこみ、演出に近づいた仕事をされていたんですね。それは後年の出渕さんの活躍を考えると、最初がそういう仕事で正解だったと思います。
 メカ全体はスタジオぬえで担当していて、メインは宮武一貴さんでしたが、ゲストはぬえに入ったばかりの河森正治さんが担当されていて、それが2人の出会いにもなったかと思います。劇場公開もされた第24話のゼロンなどは、出渕さんのデザインに河森さんが内部図解を描くという、今にして思えば夢のコラボレーションをされてましたね。そういう人間関係からだんだんと後の人脈ができはじめるわけですが、それは端から見ててもうらやましかったです。

●アニメファンの台頭とその手応え

 自分と『ダイモス』という作品、長浜監督との関連の話に戻りましょう。
 仕事としても、長浜監督のページを担当した記憶があります。「ランデヴー」の方だったと思うんですが、『ダイモス』スタート直前に、『超電磁マシーン ボルテスV』のプリンス・ハイネルがすごく女性ファンに受けて、盛り上がっていました。それを反映して、視聴者との公開文通みたいなページが用意されたんですね。
 当時、カメラマンとしてちょこちょこと仕事に駆り出されることがあって、「月刊OUT」のスタジオぬえ特集なども撮り、大した機材も知識もなくて被写体の方々には非常に申し訳ないことをしましたが、そういう時代だったんです。その流れで長浜さんの写真を撮らせていただいたり、『ダイモス』の放送に際してはテーマを語っていただき、それをテープ起こしで掲載した記憶もあります。テーマははっきりと「ロミオとジュリエットを下敷きにして、青春の若者たちに恋愛を通じて生きる意味を訴えたい」という趣旨のことを語られていたと思いますが、ひとつひとつゆっくりと言葉を選ぶ様に、非常に引き込まれた思い出があります。
 当時の長浜さんは、『ボルテス』という作品にものすごく賭けていたし、自信にも満ちあふれてました。特にボアザン星の差別問題を描いた第28話とその悲劇の結末たる最終回については、自費で広報的なハガキを印刷して業界関係者に配布し、「ロボットアニメでもここまで描ける」というアピールをされていました。
 実際、写真を撮影させていただいた場所にしても、自費で焼いた16mmプリントをファンのためにフィルム上映するイベントだったように思います。
 そうしたファン層が育っているという手応えを肌で感じ、直接会話をして壮絶な数のファンレターに全部返事を書き、ここまで反応があるなら、この先のために存分にやりたいと思って、満を持してスタートした――『闘将ダイモス』が、そういう作品なのは間違いのないことです。それは特に最初期の話数によく現れていると思います。
 形式的には、「大河ドラマ」の本格的な導入ということも、特筆できると思います。あくまでも「怪獣が出てきて退治して終わり」という「1話完結」のウルトラマン的フォーマットを模しながらも、バーム星人のエリカ(クレジットではなぜかエーリカ)とは何者か、一矢との出会いと愛はどう育ち、どう引き裂かれるかということを、戦闘を充分に見せた上で連続性と奥行きをもった物語として描いています。
 もちろんこれは時代的に、他の作品でも始まりかけていたことです。たとえば松本零士原作の『惑星ロボ ダンガードA』(1977)でも、当初1クールはロボットが出ないとか、そういう大河ドラマ的構成をとろうと試みていました。
 長浜忠夫監督と言えば成長を描いた大河ドラマの『巨人の星』。最終的には、そうした青年層や一般層に受けるところまで持って行きたかったんでしょうね。

●ドラマのテンションを上げた美形キャラ

 『ボルテス』以上に女性ファンに受けるための手練手管が、これでもかと投入されているのも『ダイモス』の特徴でしょう。
 長浜監督といえば敵側の「美形キャラ」とその悲劇を確立したとよく言われますが、定番となった市川治さんが演じるリヒテル提督の心情は、よりドラマチックに深く描かれています。その上、ゲストキャラさえも美形として描くことで、敵側のドラマをより深化させるという段階に入っています。ガーニィ・ハレック(第9話)、メルビ(第19話)、アイザム(第26〜28話)と、一部では「御三家」とまで言われるような魅力的なキャラが続々と敵側に登場し、声も順に石丸博也さん、伊武雅刀さん、井上真樹夫さんと主役級の名優ぞろい。各話のテンションは、かなり高いです。
 ちなみに「ガーニィ・ハレック」というネーミングは、SF小説の古典「デューン砂の惑星」(フランク・ハーバード作)からの引用のはずです。確か原典では年配キャラで、シナリオ的にも「武道の達人」でしたが、金山明博さんならではの矢吹丈のような若武者にして悲劇的に描いたのは、作品の華としては正解だったと思います。
 でも、こうしたハイティーン向けへのシフト変更は、先進すぎと番組関係者の一部からは受け取られたこともあったようです。『ダイモス』の恋愛ドラマのエスカレートは、児童向けのロボット戦闘ものとしてどうかという批判もあった、という意味です。事実、シリーズ中盤でエリカのまったく登場しないブロックがありますが、おそらくエリカの死による退場も改訂案にあったという、その名残でしょう。
 しかし、終盤エリカの復帰と献身的な動きによって、作品の初期テーマは完遂されることになります。特に裏切りに見せかけるくだりは、当時的にも美形キャラだけではない長浜節の真骨頂と言えるテンションの高さで、個人的にも引き込まれました。これは、『鉄腕アトム』放送から16年たって成長した当時のアニメ世代の声が押し寄せてきた……ということだったそうで、そんな点も含めて、過渡期特有の現象を内包した作品であったと思っています。

●『ダイモス』の後に……

 そのころ、富野由悠季監督は『無敵鋼人ダイターン3』を担当している時期で、前作の『無敵超人ザンボット3』は一部ファンに大きな衝撃は与えましたが、女性ファンに『ボルテス』と同様なリアクションがあったわけではありません。とはいえ、1979年の『機動戦士ガンダム』の企画は『ダイモス』の放送中ですから、そこで起きたさまざまなファンの反応を見て作りあげた部分もあったはずです。敵側に配置されたシャア・アズナブルとガルマ・ザビのドラマなどは、まさにこの時代の流れの反映でしょう。
 一方で、『ダイモス』の後番組は特撮の『バトルフィーバーJ』となり、ここから「戦隊もの+巨大ロボ」が始まります。それは『スパイダーマン』のロボット登場を踏まえてのことです。そして、長浜監督以下『ダイモス』のチームは『スパイダーマン』の後番組である『未来ロボ ダルタニアス』に入り、ここでアニメと特撮がチェンジしたことが、後の「アニメ=テレビ東京」のルーツにもなった気がします。
 『ダルタニアス』は、「戦後闇市」を思わせる地球で大暴れする少年主人公の活躍が、銀河を揺るがす「お家騒動」に転じていくという「講談」の世界に近い作風で、深刻なテーマ性から離脱してはいますが、これはこれで長浜節のバイタリティ、娯楽の真骨頂というものが強く感じられました。ですが、その途中で長浜監督はロボットアニメからは離れられてしまうわけで、その意味でも『ダイモス』という作品には過渡期、節目感が強く感じられます。

 自分自身は長浜忠夫監督の演出に関しては、概してオーバーアクションという印象もあり、三輪長官の描き方などはさすがに行きすぎかなと、そういう思いも実はあります。ですが、いま改めて見るとそうした「オーバー」な部分も含めて、「過渡期」だったという時代性を体現しているのではないかなと思います。
 ロボットアニメがいま知られている姿になっていくプロセスの中で、『闘将ダイモス』はその内包する熱量に比して、あまりにも忘れられがちではないかと思うことも多いです。その熱さとは単なる劇画的な「熱血」という要素だけではなく、立ち上がりつつある未来の新しさを「信じる心」から来ていたのは、間違いのないことです。いま現実にその「未来の時間」を過ごしている自分は、当時目ざしたその熱に応えきれているのか、そんなことも回想の中で思いました。
 私よりも『ダイモス』に燃えた、もっとふさわしい証言者がいらっしゃるのではないかとも思うのですが、ある時代を体験した「あのときの一員として」語ってみました。これをきっかけに、もっと語っていただく方が増えると、ありがたいなと思います。
 記憶中心の話ですので、万が一の間違いなどあれば、ぜひお知らせください。
 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました(談)。

●DVD情報
「闘将ダイモス」DVD-BOX[初回生産限定]
DSTD02687/DVD8枚組(約1063分)+ボーナスディスク/片面2層(ボーナスディスクのみ片面1層)/モノラル/4:3(劇場版のみ16:9LB)
価格:48300円(税込)
発売日:2007年5月21日
ボーナスディスク内容:1979春東映まんがまつり『闘将ダイモス』、劇場版予告、新番組特報、CMコレクション3本(15秒×2、30秒×1)、ソノシートコレクション
封入特典:聖悠紀描き下ろしコミカライズ「闘将ダイモス」
発売元:東映ビデオ
販売元:東映
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(07.05.17)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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