第118回 作画マニアになった理由
僕はそれまでも作画に興味を持ってアニメを観ていたが、この1982年に、ますます作画に対する熱が高まった。この年、TVシリーズでは、美樹本晴彦と板野一郎の『超時空要塞マクロス』があったし、わなたべひろしの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』があった。前年から続いている作品では『六神合体ゴッドマーズ』でスタジオZ5とスタジオNo.1が活躍していたし、『うる星やつら』で山下将仁が爆走していた。『Dr.スランプ アラレちゃん』で、芦田豊雄が傑作「ペンギン村八ッ墓ものがたり」を残すのもこの年だ。秋には、各スタジオ入り乱れての作画祭りとなった『さすがの猿飛』がスタートする。他にも『スペースコブラ』『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』『戦闘メカ ザブングル』『魔境伝説アクロバンチ』『タイムボカンシリーズ 逆転イッパツマン』『レインボーマン』と、作画をチェックしたい作品が沢山あった。『Gライタン』は1982年春に本放送が終わるが、前にも書いたように、僕がなかむらたかしの担当回を意識するようになったのはシリーズ途中からであり、本放送終了直後に始まった再放送でも、なかむらたかし担当回チェックをしていた。劇場作品でも『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』や『伝説巨神イデオン 発動篇』があった。
そんなにも沢山、作画に見どころのある作品が発表されていた。僕は貪欲にチェックし続けた。楽しかった。数年後、友達に「あの頃の君は、作画に欲情していた」とまで言われていたが、それを否定できないくらい夢中になっていた。なかむらたかしの岩石崩しや、板野一郎のミサイルに快楽を感じていた。美少女キャラなんかよりも、そういった作画の快楽に何倍も惹かれた。僕が、今までの人生で一番作画に夢中だったのが、1982年からの数年間だ。
僕だけでなく1982年頃、アニメファンの中で、作画マニアが増えていた印象がある。マニアというほどのコアなファンは、そんなに大勢はいなかったのかもしれないが、アニメーターの仕事を楽しむファンは確実に増えていた。この頃、アニメ雑誌にアニメーターを取り上げる記事が沢山あった。徳間書店が、アニメーターが描いたマンガを中心にした「ザ・モーションコミック」の第1号を発行したのも、この年の12月15日だ。局地的な話題になるが、同人誌即売会で、アニメーターファンによる同人誌を見かけるようになった。前に、僕の高校で山下将仁と越智一裕のサイン会があったと書いたが(第51回 『鉄人28号』(1980年版))、それもこの年だ。サイン会には、結構な人数のファンが集まった(この頃に増えた作画好きのアニメファン層が、そのまま残って、現在の状況に繋がっているわけではない。一度、世代的な断絶があるのだが、それについて今回は触れない)。
どうして、僕達は作画マニアになったのか。上に挙げたように、個性的なアニメーターが綺羅星のように大勢いた。普通に観ていても、彼らの活躍は目に入った。それが理由のひとつだ。あるいは僕達がアニメファンとして年季が入って、よりマニアックな見方をするようになった。それで作画に興味がいくようになった。それも理由のひとつだろう。これはどちらかと言えば、ポジティブな理由だ。
ネガティブな理由もあった。それは、この「アニメ様365日」の連載を続けていくうちに気がついた。あまりにも作画レベルに凸凹があり、たまにあるクオリティの高いエピソードを楽しみにするしかないような作品が増えたというのもある。あるいは、ストーリーと作画のバランスがよくない作品が登場した。ストーリーは普通か普通以下なのに、作画にはやたらと力が入っている作品が生まれたのだ。そういう作品は、やはりストーリーと作画を切り分けて観てしまう。それも作画マニアが増えた理由ではないのか。
自分達がスノッブになったのを作品のせいにするな、と言われるかもしれない。しかし、全てとは言わないが、ある程度は作品のせいだ。たとえば『未来少年コナン』や『あしたのジョー2』のような、シリーズを通じて物語もビジュアルも充実した傑作が続いていれば、僕達は作画だけを楽しむようにはならなかったのではないか。『未来少年コナン』や『あしたのジョー2』は作画も素晴らしいし、僕達は作画にも注目をしたけれど、作画だけを楽しむという事はなかった。あるいは、新しく作られる作品から、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』と同じくらいの感動や刺激を得ていたら、アニメーターの仕事ばかりに注目するようにはならなかったかもしれない。
第119回へつづく
(09.05.01)